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“創造する”という生き方☆ アートのある暮らし

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絵で辿るイエスの物語を読んで

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今日は、この間 図書館でランダムに選んで借りてきた本の中からお話したいと思います。


今回借りた中で印象に残ったのは、『怖い絵』シリーズで知られる中野京子さんの『名画と読むイエス・キリストの物語』。

イエス・キリストについてはその数々のエピソードもさることながら、実在したのかどうかという点でも、実のところは確証はないようです。
有名な“受胎告知”に始まって、常識では「あり得ない」とされるエピソード揃いなので、無理もないかもしれません。

こちらの本はあとがきにも書かれているように、聖書解釈を目的に書かれてはいません。
あくまで絵画を鑑賞するためのイエス・キリストの物語として、神の子でありながら人間でもあるという矛盾した存在として生まれ、悩み苦しむキリストの姿が書かれています。
もしも政治や宗教的な背景についての細かな解説や学術的な見解が随所に延々と挟まれているような内容だったら、私も手に取って読む気にはならなかったろうと思います。

こちらの本は、イエス・キリストがどんな人でどんな生涯だったのか、断片的にしか知らなかった私に、私が知りたかった形でのひとつのイエス・キリスト像を見せてくれました。

なので以下は、事実云々の点は置いておき、本の内容にならって印象に残った部分を抜粋しつつ、私が感じたことを書いていきたいと思います。


読み始めてすぐ、冒頭の受胎告知の場面から、グッと心をつかまれました。

古代ユダヤでは男子は13歳、女子は12歳になると一人前の成人とみなされたらしく(!)、ヨセフと婚約していたマリアもおそらく13~15歳だったと想定されるそうです。
当時は、姦淫した女性は石で滅多打ちにされて惨殺されるような時代。そんな時代に未婚のまま妊娠したと人に知られたら、無事では済みません。神の意志とはいえ、その危険を承知の上で受け入れるというのは、並大抵の勇気では出来ない事だったのです。

何より辛いのは、母となるマリアにとって神の子であるイエスは我が子であって我が子ではなく、イエスが現世で犠牲となる定めを背負って生まれてくる命であるということ。そしてマリアも、それを知ってしまっていたということ。
我が子が無惨な最期を迎えると分かっていながら、その誕生を望みたいという母親はいません。マリアは若くして、身を切るような辛い覚悟が必要なこれらの運命を受け入れる決断をしたというのです。

絵画に好んで描かれた神聖な場面は、ただ「天使が突然お告げに来て驚いた」なんてレベルの話ではなかったのですね…。
イエスの母として何故マリアが選ばれたのか深く納得すると同時に、その心境を思うと涙が出ました。

イエスの誕生から、周囲はものものしい空気に覆われます。
イエス誕生を祝いにやって来た東方の三博士より救世主誕生を知り、その存在に王位を脅かされる事を恐れたヘロデ王が、ベツレヘムの2歳以下の男児を全て殺すようにとの命令を発したのです。見境なく行われる嬰児虐殺の様子は凄惨を極めていて、あまりに酷く…。
地獄は人の手によって作り出されるものなのだと、改めて思いました。

これはイエス・キリストの生涯全般を通して感じることでもありますが、人の群集心理や、無抵抗な者に対する理性や正気を失った人間の残酷さは、この世で一番恐ろしいものだと感じます。

生まれたばかりのイエスは、ヨセフの夢のお告げにより家族連れ立っていち早くベツレヘムを離れたおかげで、難を逃れます。

そんな人の世に生まれたイエスが成人して洗礼を受け、修行を終えて布教活動に入り伝えたかったのは、「愛」であったと言われています。神を「怒りと裁きの神」ではなく、「愛の神」として人々に伝えたかったと。

イエスは選抜した12人の弟子たちを伴い、3年ほど伝道活動を行ったようです。
ペテロを筆頭としたこの「十二使徒」のうち、11人までが北部のガリラヤ出身なのに対し、ユダだけが南部のユダヤ地方カリオテ村の出身だったそうです。「イスカリオテのユダ」と呼ばれるその人は、後に銀貨30枚でイエスを売り渡す事になります。

ユダが何故イエスを裏切ったのか、その真意がどこにあったのかは分かりません。

出身地の違いから疎外感を感じていたのか、
金庫番という自身の立場から見ると無駄遣いとも取れるようなマグダラのマリアの行い(イエスのために高価なナルドの香油を一度に使い果たしたこと)を咎めないイエスに対する不満や、複雑な嫉妬心(マリアやペテロやヨハネのように自分も愛されたいという思い)を募らせていたのか、
自分の理想と離れていくイエスの言動に、「果たしてこの人は本物の救世主なのか」という疑問を抱いたからなのか、、
本の中でも、様々に検証されています。
もしかしたらそれらの不満や疑問全て、自身が抱いた感情の全てを払拭するために、裏切りという極限の行為が必要であったのかもしれません。

全ては「そうなるように」向かっていたというようにも取れます。
イエスはエルサレムに行く前から、自らの受難と復活について、弟子たちに繰り返し予言をしていました。自らの運命を知りながらそれを回避しようとはせず、むしろ自らを危険な立場へと追い込んでいます。
エルサレム入り後の神殿で権力者側を相手に暴れ、名指しで攻撃したり。
更なる憎悪を煽るような行動に出て、まるで受難の道へと自身と周囲を導いているかのようにも見えます。

もしも知っていながら逃れられず、悩み、震えながらも自分に科された運命を黙って受け入れるしか、他に道がなかったのだとしたら?そのために動かなければならなかったのだとしたら…。
そんなイエスの葛藤と孤独は、常人には知る由もありません。

最期の晩餐となる席でイエスが裏切者の存在を告げた時、弟子たちから出た最初の言葉は「主(キリスト)よ、我なるか」でした。
「私ではありません」と否定するのではなく、逆に「(裏切るのは)私でしょうか」と問うてきたのです。
イエスは何とも言えず情けなく、悲しい気持ちになったことでしょう。
ユダ一人、「主よ」ではなく、「ラビ(師)よ、我なるか」と問うています。これはイエスを救世主と信じていなかったからであるそうです。そんなユダに対し、イエスは「汝が為すことを速やかに為せ」と答えています。
もう、後戻りは出来ないのです。

その夜、オリーブ山の麓のゲッセマネで一晩中祈るイエスの姿に、私は胸がつまります。
神の子でありながら人間の身でもあるイエスが、これから受けるであろう恐ろしい苦痛に怯えなかったはずはありません。自らに降りかかる受難を前に、不安や恐怖に押し潰されそうな自身の弱さと夜通し戦わなければなりませんでした。
私はこのゲッセマネの園でのイエスの心情を思うと、何とも言えない不安と孤独が伝わってきて、切ない気持ちになります。
そんなイエスとは対照的に眠りこけている弟子たちの姿も、イエスの孤独を一層強く際立たせるかのようです。
誰一人としてイエスと共に祈りを捧げて起きている者はなく、それはまるで弟子たち全員がイエスを見捨てて逃走してしまう事を暗示しているかのようでもありますが、イエスの悲惨な未来を「信じたくない」という思い、現実から逃避したいという緊張感が、弟子たちに特別な眠気を与えていたのかもしれません。

ユダの接吻を合図にイエスが捕らわれ、大祭司カヤパ邸で尋問されていた頃
中庭に潜んでいたところを不意に見つかったペテロが三度もイエスとの関わりを否定してしまい、その場を逃れたところでイエスの言葉を思い出し、泣き崩れる場面があります。
「鶏鳴く前に、汝三度我を否むべし」というイエスの言葉通りになってしまったのですから、惨めさ、情けなさでいっぱいだったでしょう。
でも、そんなペテロを責められるでしょうか。その場で捕まれば、どんな目に遭うか。同じ場面に立たされて私はイエスの弟子だと正直に答えられる勇気のある者は、そうそういないと思います。聖人と呼ばれる人たちも、元はやはり弱さも持ち合わせた普通の人間なのです。

当のユダも、死刑が確定し酷い嘲りと暴力を黙って受けているイエスの姿を見ていられなくなり、祭司長らに銀貨を返そうとイエスの無実を訴えますが、取り合ってもらえるはずもなく…。
ユダは神殿の床に銀貨を投げ捨て、絶望のうちに首を吊ってしまいます。

残りの11人の弟子たちも一度はイエスを見捨てて逃走しましたが、イエスの復活後にその奇跡に触れた事で死を恐れなくなり、宣教の旅に出ます。ヨハネ一人を除いて、皆殉教者として壮絶な最期を遂げたといいます。

イエスは弟子たちの弱さも強さも、彼らがいずれ真の信仰に目覚めて殉教することも分かっていたのではないでしょうか。
だからこそ、より一層彼らを愛おしく感じていたのではないでしょうか。弟子たちに向けられた慈愛と悲しみの眼差しに、イエスのそんな思いが託されていたように思えてなりません。


イエスを取り巻く悪意は周囲の人々へ感染していくかのように広がっていき、果ては無関係な者までよってたかって無抵抗のイエスを容赦なく痛めつけ、その様は人間の残酷さ・醜さをこれでもかというほど見せつけます。
そんな中にあって、ローマ総督ピラトはイエスが無実であることを見抜いていました。暴動も起こしかねないほど興奮しきった群集の勢いを止める事はピラトにあってもとうとう出来ませんでしたが、一度割って入り、傷だらけのイエスの姿を見て何とも思わないのかと人々に問いかける場面があります。
『エッケ・ホモ(この人を見よ)』。
それまで私はヒエロニムス・ボスの絵画に見るこの場面を、イエスを晒し者として差し出している場面かと勘違いしてしまっていました。
ピラトのこのひと言に要約された思いを、恥ずかしながら私は本書で初めて知りました。

写真上の絵画はヤコボ・ティントレットの『ピラトの前のキリスト』です。
目の前のイエスから顔をそむけ、ピラトはその場にいる人々にはっきり見えるように両手を洗っています。これはイエス磔刑に自分は一切関わりがないという事を示すパフォーマンスなのだそうです。
この場面だけを見るとピラトはただ責任を放棄しているだけのようにも見えますが、膨れ上がる群集の殺気を前に、それを鎮める事はもはや不可能だったのでしょう。
けれどもイエスがかけられた十字架に、ピラトは「I・N・R・I(ユダヤの王、ナザレのイエス)」と記しています。大祭司カヤパがユダヤの王と詐称したと書かせたがったのを、ピラトは受け付けなかったそうです。イエスに対するせめてもの哀悼と尊重の意を、その文字に込めたのでしょう。
私の手元にもヴィンテージの十字架が1つあるのですが、そこに刻まれた文字が何を意味しているのか、やっと分かりました。


十字架の上で息絶える前に、イエスが絶叫したとされる言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(我が神、我が神、何ぞ我を見捨て給ひし)」があります。
神に対する抗議とも取れるこの言葉がイエスから発せられたことは大きな衝撃ですが、私はこの最後の言葉に、自らに与えられた運命の重みに耐えかねたイエスの、悲痛な心の叫びが込められているように感じました。
自らが犠牲となって人々の意識に変革をもたらすために、どんなことがあっても人を赦し、愛さなければならなかったイエスの生き方。それは想像を絶する痛みと忍耐を伴うものでした。
イエス自身もまた、生涯を通して必死な思いで神を信頼し続けようとしていたのではないでしょうか。



人は多かれ少なかれ、自分を特別な存在だと思いたがる傾向があると思います。自分の存在や人生に意味づけが欲しくて、自分の使命とは?と模索してみたり。
使命といっても大なり小なりの差はあり、現代の人が求めるそれとイエスの使命とは比べるべくもありませんが、使命とは元来そんなに軽いものを指すのではないと思います。
何らかの使命を背負って生まれてくること、特別な存在(救世主)として生きることは、「自分は選ばれし者だ」と特別な自分になりきって酔うような、決してそんな生易しいものではないのです。



聖書の物語は、ドラマティックな場面に事欠かない壮大な物語となっています。
画家たちがこぞってイエス・キリストにまつわるエピソードを題材に絵画を描きたがった動機も、そのドラマティックな要素に触発されて、注文主から依頼されて、信仰心によって…など、様々あると思います。
けれどイエスの誕生から復活に至るまでの物語と多くの画家によって描かれたイエスの絵画を併せて見ていると、皆それぞれに自分なりのイエス・キリスト像があるようで、その心理描写まで描こうとした画家たちの熱意が伝わってくるようです。
崇め奉る対象である神としてだけではなく、人間として生きたイエスに魅力を感じ、絵筆を取った画家もいたのではないでしょうか。そんな気持ちにさせられました。


大変長くなってしまいました☆
お読みくださり、ありがとうございました。



by anandab4 | 2017-04-25 11:30 | 絵画 | Comments(0)

魔の季節

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春休みが終わるのを待ち望んでいた私。

10日からやっと新学期が始まった!のですが、、

何かと慌ただしい4月の始まりというのが元々私は苦手なんですが、昨年からは特に、悩み多い時期となってきています。

4月は、始まると同時にいろんな書類の記入作業が待っています。
昨年の娘の高校入学時は、大量の書類記入に追われました。
こちらで記入する分はとにかく頑張って書くだけなんですが…。

苦労したのが、アレルギー症状の診断書でした。
入学時の健康相談で渡された書類が間違っていたのが元となり、そこから事態がややこしくなってしまい…。
病院を数件たらい回し状態になった結果、学校医の先生の診察を受けて記入してもらう事になりましたが、学校最寄り駅から一駅違いの、駅から遠い場所にある古い診療所。徒歩ではかなり遠いので、タクシーを利用しなければなりませんでした。
そうしてやっとの思いで5月の半ばになって記入してもらえましたが、診断書は一年ごとの提出となっているため、

今年もまた行って来ました★

2年目なので要領は分かっているものの、駅やバス停の近い環境に住む生活の中でタクシーは滅多に利用しないので、ちょっと緊張したりします。
行きは駅に何台も待機しているのですぐですが、帰りは大通りまで出てもなかなか捕まらないのです(>_<)

今回の行きのタクシーは、ちょっと面白かったです。

会話の中で娘に誕生日を尋ねた運転手さん、唐突に「はい!お答えします」と。
何が始まるのか?と思ったら、今年はあなたにとってこんな年、あなたはこんな人、と突然数秘占いを始めたのです。
その内容、娘の性格に当てはまるところが結構ありました(^^;)
娘の親指の真っ直ぐなのは、「自分の考えを曲げない証拠」らしいです。「どちらかと言うとお母さんの性格と似てるね」と言われましたが、確かに私の親指もいっさい反らないですね(^^;)

数秘は趣味でされてるらしく、バインダーにそれぞれのナンバーごとに分けて携帯してある鑑定書?の中から、娘の分を手渡されました↓
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数秘占いの運転手さん、興味深かったです(^_^;)

今年はむしろ、通学定期の証明書をもらうのに苦労しました。
昨年も事務の手違いがありましたが、今年は先生と事務室との間で行き違いがあったり…。
何故か手続きの度に、必ずと言っていいほどの二度手間、三度手間。

そして、入学の際に屋外で明るめに見える娘の髪は自毛だと記入しているのに、疑われる頭髪検査など。
手続きに加え、体質の事であまり生徒にストレスを与えないでほしい。

いろんな意味で、早く普通の日々が始まってほしいです。



諸々の事情で気分が晴れない日々が続いたので、久し振りに図書館まで歩きました。
ただ歩いたり、好きな本をあれこれ選ぶ時間は神経をリラックスさせてくれます。

雑誌コーナーはお目当てのものがありませんでしたが、ピーターラビットの特集本や絵画に関する本など、文章だけでなく写真もじっくり見られそうな本がたくさん見つかったので嬉しい(^^)

クラーナハ展で買った図録用バッグも活躍しました☆↓

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ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、今日はこの辺で(^^;)


お読みくださり、ありがとうございました☆


by anandab4 | 2017-04-15 15:50 | 日常のこと | Comments(0)

田舎で過ごす、2年振りの春休み

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昨年の春休み。
旦那さんと子供たちを田舎へ送り出し、1人自宅に残って二人展のための制作に集中する数日間を過ごしました。

家族が留守になったちょうどその夜、熊本で大きな地震が起きました。
あの直後に書いた記事はどんな言葉もしっくりこず、結局削除しました。
あれから1年になるのですね。
人生でこれ以上はない程の大きな出来事に遭遇する体験は、それまで過ごしてきたのとは確実に違った思いで一日一日を過ごす意識へと人を変えていきます。
この一年間も大勢の人が、様々な思いで過ごされたろうと思います。



私は冒頭のような理由で、今年は2年振りの田舎での春休みでした。

お昼過ぎに到着すると、おやつの時間に早速分家のミーちゃんが顔を出しました。(↑写真上です)
ミーちゃんは高齢で左耳が不自由なためか、お顔が若干左へ傾いています。

子猫の頃に、ミーちゃんは身寄りが無くなりました。
お母さんが子供たちを連れて移動する際にうっかりミーちゃんを忘れてしまったため、置いてきぼりにされてしまったのです。
取り残されて鳴いていたところを猫好きの分家のおばちゃんに拾われ、大事に可愛がられて大きくなりましたが、おばちゃんの入院後、程無くしてまたも独りぼっちに…。
住み慣れた土地を離れるのはミーちゃんにとって大きなストレスとなるため、半ノラの状態で父母の元へ通う生活を送るようになりました。

そんないきさつからか、炬燵の角のお布団の上がミーちゃんの場所なのですが、ミーちゃんは座る前にここを念入りに前足で“ふみふみ”します。
おばちゃんと一緒に寝る時も、おばちゃんの腋の辺りを前足で交互に押していたそうです。これは、お母さんのおっぱいをもらう時の子猫の仕草なんですね。
丁寧に“ふみふみ”するミーちゃんのまあるい背中が何とも可愛らしく、同時に何だかとてもいじらしく感じました。

基本自由に外で寝泊まりしているミーちゃんですが、外の世界はやはり敵がいっぱい。
噛まれた傷から炎症を起こしてしまったり、おできができて腫れたり。
体調が悪くなると食欲も落ちてしまうため、暑い夏や寒い冬を乗り切るのも精一杯…。
今のミーちゃんにとって、一年を無事に生き抜ける事は本当に奇跡なのです。

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そんなミーちゃん、私たちが来た日は落ち着かないのか遠慮がちな様子でした。
でも、私たちは猫好き一家なので大丈夫(^^)

リラックスしきっている長女の手に撫でられるうちに安心し、身を委ね…。

↓アンモナイトのように丸くなり、気持ち良く眠っていました(*^^*)

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帰省した際には必ずと言っていいほどよく寄るお不動さん(如意寺)へも行って来ました。
ものすごい風で、めちゃくちゃ寒かった!
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この4月1日は日切不動尊大祭だったので、いつもより大勢の人で賑わっていました。

境内に入ってすぐ上った所に鐘があるのですが、次女はマスクをしていたのもあり「お姉さんが鐘突くとこ撮らせてー」とおじさん(おじいさん?)から長女にリクエストが。「いいですよー」と長女、モデルを務めました。
全く普通のおじさんで怪しい人ではなさそうだったので、多分大丈夫と思われます…。
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柴灯大護摩供が始まる頃。人々の見守る中、四方へ向けて矢を放つ真言僧侶の方たち。
私が写真を撮っている間、娘たちは休憩所で屋台のたこ焼きにパクついていました(^^;)

私たちの今回のお参りの目的はお守りを返しに行く事だったので、点火するところまでは見届けませんでした(とにかく寒かった)★

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「花の寺」であるお不動さん。もう少ししたらみつばつつじなど様々な花が見頃になりますが、花はまだほんのまばらでした。
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↑大きな下駄は、仁王さんのもの。


留守番してくれた母へ回転焼きをお土産に買って帰り、おやつの時間にいただきました(^^)


田舎での1日は、用事をしているとあっという間です。ちょっと休憩したら、すぐにご飯の時間☆
母と一緒にこの春休みも旬の野菜を使ってご飯作りをしました。
よその人からは「家で作ったらめんどくさいでしょう~」と言われるそうですが、母にとって娘の私と一緒に台所に立つのが楽しみであり、「美味しい!」と孫たちが食べてくれるのが幸せなんだそうです(^^)

キッチンから元気で明るくなった父の姿を見ながら、母としみじみと「良かったね~」と言い合いました。

皆で食卓を囲んだり他愛のない話をしたり、そんな幸せを改めて実感出来た今回の春休み。
いい思い出になりました(*^_^*)

ゴールデンウイークには、春休みに予定が合わなかった姉一家が行く予定です。


私の春休みは終わりましたが、娘たちの春休みはまだもう少し続きます(^_^;)


お読みくださり、ありがとうございました☆




by anandab4 | 2017-04-03 15:02 | 家族のこと | Comments(0)